砂時計の涙

その世界は、時間が逆行する。生きとし生けるものは老いて生まれ、若返りながら死へと至る。此処では、それが自然の摂理だった。重力と光が編み出す不思議な場所で、砂時計はただ一つ、時間の進む方向を司る神聖な存在とされていた。

物語は、一介の風景画家から始まる。彼――という人称は適切ではないかもしれないが、方便として使おう――は、毎日のように逆さの木々、若返る動物、そして風に流される青々とした草原を描いていた。彼の目は、ある日、一つの風景に固まった。老人としてこの世に現れ、少年へと若返りつつある一人の孤独な存在を捉えたのだ。

その存在は、日が落ちるごとに、少しずつ、しかし確実に変わっていく。一度老いたものは若返れるという神話が、この不思議な世界の真実である。画家は彼の変遷を描き続けた。赤ちゃんとして消えていくその前に、その存在が、一枚の完璧な絵になる瞬間を、彼は逃したくなかった。

孤独な存在は自らの変化に気付いているようだった。彼と画家は言葉を交わすことはない。しかし、時折その視線が交錯し、何かを共有しているようにも感じられた。画家は彼の哀愁を、その時々の美を、キャンバスに叩き込んだ。時間が逆行する中、彼らの間の無言の対話は深まる。

ある日、画家が彼を描いていると、ついに彼の存在がここから消えようとしていることを感じた。顔は幼く、目は不思議と深く、老人のそれを思い出させる。そして、最後の一滴が砂時計を通り過ぎるその瞬間、画家は涙を見た。それは時間の流れを象徴するかのように、上へと昇っていく涙だった。

画家はその涙を追いかけ、ついに彼がこの世に現れた老いた姿に戻る瞬間を描いた。キャンバスは完成し、彼の存在は消滅した。だが、画家自身もまた、時間の逆行に逆らう形で老いていく運命にあった。彼がこの世に別れを告げる前に、一枚の絵を後に残した。それは時間が正しい方向に流れる世界の一コマを描いたものだ。

砂時計は静かに、そして確実に逆さまに再び流れ始める。画家もまた、生まれたときの姿に戻る。彼の絵は、その世界のどこかで見つかるだろう。見る者に、孤独、時間、そして存在の意味を問いかけながら。

風は画家がいた場所を静かに吹き抜ける。

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