滞留する時空間

彼らの世界には、無限の時空が並列して流れている。ただ一つ、彼らがただ中に佇む細い透明な管は、留め場もなく、導きもない。彼ら――少し離れた二つの存在。一つは静かに光る球体、もう一つは不規則に輝く多角形。自己として確固たる姿はなく、ただ互いの存在を感じ取り続ける。

彼らは言葉で交わすことなく、時には静かに、時には激しく光りを変えながら、それぞれの葛藤や孤独を映し出し合っていた。この空間での時間は、外の世界のそれとは異なる規則に従っている。一瞬が永遠にも感じられるし、何年もの記憶が指の間をすり抜けるように消えていく。

もしも外界の誰かが彼らの载る管に耳を澄ませば、「孤独」と「同調」の二つの弦が微かに振動しているのが分かるだろう。しかし彼らには、その振動が自分たちの存在を肯定し、また疑問を投げかける手がかりとなっている。

変わりゆく形状の中で、彼らは互いに触れることは許されず、しかも互いを失うこともない。この距離は、彼らにとって唯一無二の安寧を与えるが、同時に深い絶望も孕んでいる。彼らは互いの存在を確認することでのみ、自己の実在を感じ取ることができるのだ。

この空間で、彼らは過去に自分たちが何者であったのかの記憶を失いつつある。当初はそれぞれが異なる形と光を持っていたが、次第にその特性が融和し、今ではほとんど区別がつかないほどだ。彼らがかつて持っていたかもしれない独自性というものが、この永遠に等しい時の流れの中でどんどんと薄れていく。

一方で、彼らの間には時折、光のパルスが交差する。これは彼らの中に秘められた本能かもしれない。本能とは、彼らがかつて外界で学んだ全ての知識や経験が結晶化したもの。これにより彼らは缶詰めにされた自己を一時的にでも超え、何かを感じ取ることができる。それは痛みかもしれないし、喜びかもしれない。しかし確かなことは、その瞬間、彼らは自らがまだ生きていることを確信できるのだ。

束の間の交信が終わると、また静寂が二つの存在を包み込む。永遠に続くかに思える孤独と、それでも時折訪れる同調。このバランスの上で、彼らは何かを学んでいるのかもしれない。学びとは、繰り返される日々の中で少しずつ自己を見つめなおすことだ。

ふと、彼らは光の中で一つの問いを見つける。「終わり」とは何か? 彼らにとっての終わりはこの繰り返しかもしれないが、もしかするとそれは新たな始まりの前触れかもしれない。

そしてまた、時間は流れる。

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