それは、緑豊かな一木が立つ世界だった。地表は常に陽光を吸収し、森は飽和状態にあった。矛盾するようだが、森の中には木が一本しかなかった。全ての生命がこの大樹を中心に息づいていた。
視界の端で光が踊る。そこに存在はひとつ、小さな蝶だ。蝶の一生は、木と密接な関係を築きつつ、乗り越えるべき試練の連続だった。蝶は絶えず木の周りを飛び、その存在感を示しながら生息していたが、他の蝶たちとの競争は厳しかった。食料となる花粉は限られており、常に蝶たちはその存在に己の生をかけねばならなかった。
日々は変わり映えのないもので、蝶は孤独を感じることもしばしばだった。自分がどのような存在であるのか、何のために飛び続けるのか。その思索は終わることなく、蝶は自身の存在意義に苦悩していた。
ある日、蝶は例外的に他とは異なる一匹の蝶に出会った。その蝶は色も形も異なり、どこか他の生命体との調和を保っているようだった。新しい蝶は、なぜか常に太陽の方を向いて飛んでいた。
以前の自己とは異なり、この蝶に惹かれる自分がいることに気づいた主人公蝶は、その蝶に話しかける勇気を持った。交わされた言葉はない。ただ、互いの翅をふれ合わせるだけ。それでも、その接触がもたらす感覚は深く、二匹の蝶は次第に互いに寄り添いながら飛ぶようになった。
しかし、共存の日々は長くは続かなかった。蝶たちの世界は厳しさを増していき、生存競争はより一層のものとなっていった。そして、絶え間ない競争の中で、新しい蝶は力尽き、やがて木の下へと落ちていった。
主人公蝶は、落ちた蝶のもとへ駆け寄った。しかし、もはや、動くことはなく、ただ風に揺れる翅しか見えなかった。その時、蝶は初めて自分自身の運命と向き合った。生きるためには強くあるべきか、それとも愛する存在と共に在るべきか。その哲学的問いに、答えを出すことはなかった。
静かに、翅を休める。落ちた蝶と並んで、湿った大地を見下ろし、再び風が吹き始めるのを感じる。何も言葉は要らない。ただ、存在することの重さと、それを共有した瞬間の輝きを、内なる心に刻む。
風がまた、緑の葉を揺らしたその瞬間、すべての音が止まった。
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