かつて、人は彼らが足元に踏みしめる砂の粒一つ一つが時であると信じていた。砂の海を歩くことは、時間を紡ぎながら生きることだった。
その日、彼は長い旅を終え海辺の村へと辿り着いた。海は静かで、その波紋は彼の心の鏡のようだった。彼は海岸沿いにある小さな木製の小屋を自分の住まいと定めた。ここは誰も彼を知らない、名前も過去もない場所だ。
彼は以前、都市で時計の修理師として働いていた。あらゆる時計の歯車が正確に噛み合って動くのを眺めるのが彼の生きがいだった。しかし、ある日彼は時計の中で時間が歪んでいることに気づいた。その歪みは小さなものだったが、彼にとっては大きな疑問となった。本当の時間とは何か、と。
村の人々は彼をただの流れ者として受け入れ、彼もまたそれ以上の関わりを求めなかった。毎日、彼は砂浜を歩き、海の声を聞いた。彼の手にはいつも、街で修理していた古い懐中時計が握られていた。その時計はもう動かないが、彼にとっては時間の真実を探求する鍵だった。
日々は静かに過ぎていく中、彼はある老人と出会った。この老人もまた、時の真実を探求している者だった。二人は時について、その本質について夜通し語り合った。老人は言う、「時間は感じるものだ。君の心が時を感じるなら、それが真実の時間だ」と。
彼はその言葉に心を動かされ、時計の真実ではなく、時間の感覚を信じるようになった。彼は毎日砂浜を歩き、砂の粒を拾い、それを時計の中に仕舞い込んだ。何故なら、それが彼にとっての新たな時間だったから。
やがて季節は変わり、彼の周りの世界も変わり始めた。村の人々も彼の存在を認め、彼もまた村の一員として受け入れられるようになった。彼は時計の修理師としてではなく、時間の探求者としてその場所に溶け込んでいった。
ある日、彼は自分の懐中時計を海に投げ入れた。時計は波にのまれ、見えなくなった。彼は笑った。彼にとって、真の時間はもはや時計の中に存在しない。それは砂の粒として、彼の心の中に存在していた。
小屋に戻ると、彼は砂時計を裏返した。でも今、過ぎ去る時間をただ眺めるだけではない。彼はその砂粒が彼自身の歩んだ時間であり、それが彼を形作るものであることを知っている。何故なら、彼が砂の粒を拾うたび、彼は自分自身を再発見しているからだ。
彼は再び海を見た。海は今も変わらずに彼を見返していた。彼は知った、時は人それぞれであり、彼にとっての時間は彼自身が創り出したものだった。そして、砂の粒のように、ひとつひとつがかけがえのないものであることを。
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