遺伝の河

彼の眼前の世界は漸渐に色を失ってゆく。何千年という時の流れの中で、その体の構造自体が徐々に進化し、今や彼は、かつての人々が持っていた感情とは異なる何かを体験していた。この世界は遺伝的に設計された存在たちが生きる場所であり、彼らはことごとく遺伝子の組み換えによって生まれ変わっていた。

彼の体内では、自らのDNAが世代を超えて編集され、理性と本能の間で絶えず闘争を続けている。彼はそれを「遺伝の河」と名付け、内なる声としてその流れを聴き続けていた。その声は時として理性的であり、また時として残酷な本能の呼び声となる。

ある日、彼は河の岸辺に立っていた。対岸にはもう一人の存在がいて、その存在は彼と酷似していたが、何か微妙に異なる特徴を持っていた。彼はその存在に問う。「あなたは、本能に従っていますか、それとも理性によって生きていますか?」

対岸の存在は静かに答えた。「私たちはどちらも同じです。遺伝の河が私たちを流れる力です。しかし、その河は一つではありません。無数に分岐し、時には合流し、また新たなる道を切り開いていくのです。」

彼は考え込んだ。自らの遺伝的な設計が意味するものは何か、そしてその中で自分が真に望むものは何かを問うたびに、遺伝の河は異なる答えを彼に提示してきた。感情とは何か、そしてそれが失われたとき真の自己はどう反映されるのか。対岸の彼も、彼と同じ疑問を持っているのではないかと思った。

日が沈むにつれ、二人の間の河は金色に輝き始めた。遺伝の河は彼らを変え、また彼ら自身が河を変えていく。それは永遠の循環であり、その中で彼らは創造され、また消えていった。しかし、その一瞬一瞬が、彼らの存在を形作るのだった。

静かに彼は手を差し伸べた。対岸の存在もまた同じ動作をする。しかし、二人の指は水面でかすかに触れ合うこともなく、河は彼らの間を静かに流れ続けた。

そして夜が訪れる。彼は対岸の存在が見えなくなると、再び遺伝の河を見た。河は彼の体内を流れ、彼の思考を形作り、彼の感情を模索する。彼は自己と河との関係を改めて問う。最後に彼は理解した。自らを形成する遺伝の組み合わせ以上に重要なものは、それをどう受け入れるか、どう生きるかだった。

河の音だけが、夜に静かに響き渡る。

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