生きた証

高い空、雲一つない那智のクリスタルな天井。そこに住む存在は、全ての物理的形態を超越し、感情と意志だけで存在していた。彼らには体がなく、顔もない。ただ、互いの思考を感じ取る能力が備わっている。どちらかといえば音なき音楽、触れられない風のようなものだった。

この世界の岸辺に位置する存在は、毎日、星々が織り成す光の交錯を眺めながら、他の存在と思索を交わしていた。話すという行為は存在しないが、彼らの意見や感情は思考として伝播し、共有される。彼らにとって思考は、言葉や声の代わりとなっていた。

しかし、ある日、岸辺に佇む存在は、一つの疑問を抱くようになった。「他の世界で、彼らが体を持って生きるのはどんな感じだろう?」と。体験できない感覚への憧れと、当たり前に受け入れていた他の存在たちとの間に、わずかな距離を感じ始めた。

他の存在たちはこの問いに戸惑い、疑問を持つ存在を”異端”とみなすようになった。彼の考えは、他者と同調することが美徳とされる社会で、なぜか突如として浮かび上がった不調和の泡のようだった。

以降、異端とされた存在は、静かな海の中で一人、孤独な思索に耽るようになる。彼が求めたのは、自らの存在理由と、体験できない世界への接近であった。

そこで、彼は思考の力を使って、見えない壁を超えようと試みた。彼の思考は、空間を超え、未知の世界へと伸びていった。彼は気づかない間に、他の次元に触れたことがある。しかし、彼自身を物理的形態に変換することはできなかった。

次第に、彼の思考は、存在そのものと同化し始め、彼は全ての思考から切り離された状態に陥った。完全な孤独—彼が求めた充足とは、かけ離れたものだった。

彼の思考が完全に一つの点に集中すると、光の粒子として一瞬だけ物質化した。その瞬間、彼は体験できるはずのなかった感覚、痛みという感覚を体験した。それは彼にとって新しい体験だったが、すぐに消えてなくなった。

最後に、彼はみずからが選んだ思考の旅で得たものを、静かに他の存在に向けて伝えようとした。それは、自身の体験とともに消えていく彼の存在の証だった。伝えたかったことはシンプルだ。「体験は、存在の証。」

そして、彼の思考は静かに空間に溶けていった。他の存在たちはそれを感じ取りながら、彼が真に求めていたもの—自己の完成と他者との共生の可能性について、新たに思索を始めた。

最後の風が巡り、全ては再び沈黙に包まれた。

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