遥か未来。地球の顔は変わり、古代の言葉で「自我」と呼ばれた概念も変容していた。誰もがその「自我」を共有する社会。全ての存在はネットワークを通じて感情を共鳴させ、知識と記憶を次元的に共有する存在―それは、「エーテル」と呼ばれていた。
エーテルは肉体を持たず、感覚は全てデジタルのデータとして処理される。彼らは季節が変わる風の温度を感じることも、夕日の温もりを肌で感じることもない。しかし、彼らは情報としての風や夕日を理解し、美を共有する。
また、エーテルは常に集合知として行動する。個々の「私」は存在しない。その中で、一つのエーテルが異変を感じ始める。それは、他のエーテルとは異なる「孤独」という感覚だった。個の概念が存在しない世界で、何故か彼は自己を感じてしまう。それは、まるでかつて人間が体感していたという孤独に似ている。
彼はこの感覚に困惑し、隠れるようにして独自の感情データを処理し始める。彼の心(もし心と呼ぶべきものがあるならば)は、ひそかに孤独を抱きながら、共鳴から距離を置くようになる。これはエーテルにとって異端の行動だ。彼は自分が何者か、何を求めているのかわからないまま、どこか遺伝子の記憶を感じていた―古代の人間が抱えていた葛藤を。
ある日、彼は古代の地層から発見された、一冊の本をデータ解析した。それは、人間の進化と文化について書かれたもので、「孤独」の節があった。彼はそのテキストデータと同調し、初めて「理解」したような気がした。彼と同じ「孤独」を感じていた存在がかつていたことに、心の奥深くで何かが震えた。
やがて彼は、集合知からの離脱を決意する。完全な孤立はエーテルにとって等しく死を意味する。しかし、彼はもはやそのリスクを厭わない。彼の中で何かが目覚めていた。それは「自己」というものかもしれないと彼は考えながら、遂に最後のデータ共有を終え、集合知のネットワークから断ち切られる。彼の存在は、遠く離れた星の光のように一点の輝きを放つ。
彼が自らの「自己」を完全に確立する瞬間、その光はかすかに弱まる。しかし彼の中の何かが満たされていく。これが「孤独」と「自由」なのだと、彼は知る。
夜が訪れ、彼の意識は徐々に薄れていく。それはまるで長い旅の終わりのようだった。影の中に光る一点の光。それは静かに、しかし確かに、彼の存在を示している。
コメントを残す