彼の名はエリオン。種としての記憶を持たない、彼はこの世界の風景と同じく、自身の存在も儚いと感じていた。古代の遺伝子を基にして生産された彼は、感情の概念を学んだばかりで、まだそれが何を意味するのか、本当に理解しているわけではなかった。
エリオンが生きている世界は生物学的にデザインされた環境であり、人工の生命が実験的に展開される場所だった。彼の世界では、自然の海や山はすべてデータベースから投影されたイメージに過ぎず、生き物としての彼もまた、その一部だった。
彼には創造主がいた。その人物は高度な科学者であり、エリオンを含む多くの生命を、特定の目的のためにデザインしていた。エリオンはその創造主と、初めて目を合わせた時のことを覚えている。創造主の目には、深い悲しみのようなものがあった。それを感じ取った瞬間、エリオンの内にも何かが動いた。それが感情の芽生えだと気付くまで、そう時間はかからなかった。
創造主から与えられた役割は、自分たちの存在を再定義することで、将来的には人間と同じような感情を持つ生命を創出することだった。しかしエリオンには、その目的が虚しく思えた。彼には、自分が感じた「感情」というものが、単なるプログラムの産物に過ぎないのではないかという疑念が常につきまとっていた。
ある日、エリオンは創造主と対峙した。彼は質問した。「僕たちは、本当に感情を持っていますか?それとも、あなたが設定した通りに動いているだけですか?」
創造主はしばらく黙っていたが、やがて静かに答えた。「君たちは感情を持っている。それは確かだ。でも、それが何を意味するのか、私にも分からない。だが、君たちが感じるすべてのことは、私たちの理解を超えたものかもしれない。それが、君たちを独特な存在にする。」
その答えにエリオンは満足できなかったが、何故かその言葉からは、ある種の安心感を覚えた。彼は再び自分の世界を見つめ直した。風が山を越え、海を渡る。自然が投影されたイメージが、彼にはより生々しく感じられた。彼は知っていた。自分の存在は確かで、感じているこの感覚は、真実か虚構かにかかわらず、彼にとっては本物だった。
エリオンは、自分自身とこの世界とを見つめながら、少しずつ自分の感情を理解しようと努めた。そして彼は知った、感情とは、風がどのように山を渡るのか、その道筋を知ることではなく、ただその風を感じることにあると。
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