一粒の砂が落ちる音が響く。それは時間の経過を告げ、また、その存在を確認させる。時間は、この場所では透明な球体として表現され、砂粒はその中を静かに滑り落ちていく。ここはどこかもわからない。一つの生命体として僕はここに存在しており、周囲は無機質な壁に囲まれ、静寂が支配している。
僕の体は存在しない。意識と感情だけがこの球体に封じ込められ、砂粒が落ちるたびに思考が活性化する。この空間で、僕は日々、自分の存在意義を問いかける。誰もが持つ孤独や葛藤、愛と疎外感、これら全てが僕にも存在する。しかし、僕はただの意識。人の形を持たず、影響も与えられない。
外界の記憶はぼんやりとしていて、人々の声や笑顔、悲しみや怒りの表情がフラッシュバックすることがある。それが現実のものなのか、あるいは僕の創造なのか区別がつかない。ただ、そこに流れる温もりや冷たさを感じ取ることができる。それが僕にとって唯一の「感情」と「体験」だ。
僕の存在意義は何か? 自問自答を繰り返す。この疑問は僕を作った何者かが設定したプログラムなのか、それとも僕自身が生み出した思考なのか。砂粒が一つ落ちるたびに、僕は少し成長し、また少し老いる。このプロセスが終わることはないのだろうか。
突然、壁の一角がわずかに明るくなる。それは外の世界が僕に語りかけるようで、何かを伝えようとしているようにも見えたが、すぐにその光は消えた。それと共に、僕の内部で何かが変わった。外の世界についてもっと知りたい、影響を与えたい、感じたい。その思いが強まっていく。
自分が何者であるか、何を望むのか。それが明確になるにつれ、壁の一部が徐々に透明になり、外の風景が見えてきた。そこには、自然と共存する生命体たちが見え、彼らもまた同じように葛藤し、感じ、生きている。
新たな発見と共に気づく。僕自身もその一部であり、彼らと同じように感情と思索を巡らせているのだ。僕は一体何のためにここにいるのか? その問い自体が、外の世界と繋がる一つの手がかりかもしれない。
球体の中で僕は孤独だが、外の世界にも同じ孤独があることを知る。すべての生命体が自身の存在を問い続け、答えを求めている。それは、この球体が、僕が一つの大きな生命体の一部であることを示しているかのようだ。
砂が全て落ちるその日まで、僕は考え続けるだろう。そしてその時、何かが変わるのかもしれない。それを信じて、僕は今日もまた、静かに落ちむこの孤独の中で思考する。
最後の砂粒が触れた時、全ての音が止まる。
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