その存在は寡黙で、影のように私の足元につき従っていた。私が住む世界は無数の光と影で構成され、両者は常に織り成す芸術のように融合し、分離していた。私たちの文化では、影は自己の裏面を象徴し、またその存在が私たち自身の一部であることを常に思い起こさせる存在だった。
私の影は特別だった。日常の幻想を生み出す光のもとで、影はしばしば独自の形を成し、私とは異なる物語を紡ぎ始める。そんなある日、影が突如として振る舞いを変え、私に問いかけるように振舞った。それは、影としての役割を超えた動きだった。そこで初めて、我々が共有する不可視の縛りから解き放たれたその他の可能性に気付かされたのだ。
私はある寂れた場所へと足を運んだ。そこはかつて光と影の神殿と呼ばれた場所であり、今はその残骸のみが静かに時を刻んでいる。影は、この神殿の壁に映し出されながら、自己の本質について私に問い続けた。それは孤独な探求だった。ならば、私もまた、影が語る孤独の物語に耳を傾けなければならないのか?もし影が持つ孤独が、実は私の内にも潜んでいるものだとしたら?
私たちの対話は、孤独と共鳴し合うように続いた。私は影に問うた。何故、私たちは常に何かと一体となることでしか自己の存在を確かめることができないのか?影は答えた。それは、一緒に存在することが生命の条件だからだ。そしてまた、一緒にいることで、自己が他者によってどのように映えるかを知ることができるからだ。影が私に学び、私が影に学ぶ。これが私たちの永遠の対話だ。
次第に、影は自己の存在を確かなものとして認識し始め、私との対話を通じて得た理解を、自らの形として表現し始めた。影の動きが独立した意志を持ち始めると、私は不安と興奮を覚えた。影がこの世界の理に反する存在となった場合、私自身もまたその影響を受けずにはいられないだろう。
そして最後に、影は私に一つの課題を投げかけた。自己の影とどう向き合うか、その一挙手一投足が、私自身の未来を決定づけるだろうと。
静かな夜、星々が私たちの対話を照らし出す中、私はたった一人、静かに佇んでいた。影はそこにはもういなかった。ただ一つ、影が憩いし神殿の壁には、微かな光が映し出され、そこにはかつての私の姿があった。影は消えたわけではない。私の内側にしっかりと根を下ろしていたのだ。
この物語が語り終わる頃、私たちは自己の一部を失ったか、或いは新たなる理解を得たか。光にも、影にも、その答えはなく、ただ不確かながらも確かな感覚だけが、静かに残る。
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