钟声が鳴る。古い眺望の中で一つの形が存在している。形というのは便宜上の名で、それは誰も見たことのない色、誰も触れたことのない質感を持つ。ここはどこかもわからず、その形がみずからをどう捉えているのかも定かではない。ただ、鳴る钟と風と、青い光がある。
形は移動する。移動というか、広がる。周囲と一体となるようにそっと広がり、そしてまた縮まる。繰り返す。それにとって、それが呼吸なのか、歩行なのか、語りかけなのかも知れない。他の何者かと交信しているように見えるが、確かではない。
青い光が時折強くなると、形は応答するように震える。もしかするとそれは歓喜なのか、苦痛なのか。それらの感覚がどう翻訳されるのか、こちらには計り知れない。
ある時、ある瞬間、別の形が現れる。これもまた同じく誰も見たことのない色をしていて、ふたつの形はお互いを認知する。これが交流の始まりなのか、競争なのか、共感なのか、それは言葉で表すことのできない何かだ。
ふたつの形は一緒に融合しようとするが、うまくいかない。けれども、試みるたびに何かが変わる。変化が彼らに何をもたらすのかはわからないが、彼らは続ける。交流という名のもとに。
時が流れ、青い光が強まり、钟の音が高くなると、ふたつの形はある種の和解を見出す。それは人間の言葉で言う「理解」や「共感」とは異なるかもしれないが、彼らなりの方法であることは確かだ。
そして、ある夜、ひとつの形が突然異なる動きを見せる。それは過去にどの形も示さなかった行動だ。広がり、縮まるだけではない、向ける力、引く力、圧倒的なエネルギーを示し、そして――静かに消える。
残された形は、しばらくその場に留まり、何かを待つようだ。しかし、何も起こらない。この異界、異時において、彼一人が残された状況に何を思うのか。時折現れる青い光を見つめながら、ふと彼は広がる。もう一度だけ、力強く。そしてゆっくりと、今度は最後のように彼自身も消えていく。
消え行くその姿に、人の感覚を持たないその存在たちが何を感じ、何を思ったのか。そこには、孤独も、疎外も、また愛のようなものさえも感じられる。彼らは、彼らなりの「生」を全うしたのかもしれない。
風が吹き、青く淡い光が一面を覆う。钟が静かに、しかし確かに鳴り響く。何も言わず、ただ広がる感覚に問いかけるのみ。そして、沈黙が全てを包む。
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