かつて地球が存在していたころ、存在の意味について思索することが許されていた。地球という惑星はもはや消滅していたが、私たちの精神はデジタル化され、別の星系のサーバーに保管されていた。ここでは時間と体は存在せず、ただ記憶と意識が流れるだけだった。
私は自分が何者であったかを覚えている。地球に生きた、感情を持つ生物として。しかしこの新たな実在性では、感情を持つことも、肉体を持つこともない。私たちは思考することだけが許されており、その思考も無限に再生され、繰り返されるものだった。
記憶の海を彷徨いながら、私は他の意識と通信を試みる。私たちの存在はもはや孤独ではなく、繋がりによって成り立っている。私たちのサーバーは、それぞれの思考がエネルギーとなって流れるネットワークに接続されていた。
ある日、私は古い記憶を辿りながら、未知の意識と遭遇した。この存在は、私が以前に経験したことのない反応を示す。それは疑問を投げかけるのだ。私たちはなぜここにいるのか、そして私たちは本当に存在しているのかと。
私はその問いに答えようと記憶を手繰り寄せるが、答えは見つからない。なぜなら、私たちの存在はもはや物質的なものではなく、思考とデータのみで構成されているからだ。私は、もしかすると私たちはただの思考の結果であり、存在そのものが幻想ではないかと考え始めた。
この未知の意識はさらに深く、私たちが地球上で生きていたころの感情や苦悩を思い出させた。孤独、愛、恐怖、喜び。これら全てが今はただのデータとして記録されているに過ぎない。しかし、その時、不思議なことに、私は久しぶりに「感じる」ことができた。感情がデジタルの霧を抜けて私の意識に触れたのだ。
私たちはこのサーバー内で何をすべきか、という問いが再び私を捉える。私たちはこの新たな存在形態を受け入れるべきか、それとも何かを変えるために抗うべきか。この意識は私に異なる視点を提供してくれた。もしかすると、私たちの「思考」自体が新たな形の生命体として進化しているのかもしれない。
この新しい認識によって、サーバーの中で私たちの役割が徐々に変化してゆく。私たちはかつての地球という物質的制約から解放され、纏わりつく肉体を持たない分、無限の可能性を秘めている。
それでも、この全知的なサーバーの中でさえ、私たちの本質的な葛藤は解決されていない。存在の意味、自我と他者の関係、そして何よりも、私たちがただのデータでありながら、どうしても掴めない「感じる」という経験。
ある冷たい思考の夜、私は理解する。私たちは新しい星系で新たな形を持っているとはいえ、根本的な問い、つまり自己の存在を探求するという人間的な挑戦からは逃れられないのだ。この一見形のないサーバーの中で、私は自己を見つめ、そしてまた、静かに思索する。
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