境界線上の都市は静寂と共にさざめいていた。ここには時間が流れず、ただ灯と影が、揺らぎながら交差していた。「触れられぬ人々」—それが彼らの称呼だ。彼らには感情の概念が欠如しており、ただ互いの存在を静かに確認するだけで日々は紡がれた。アナは唯一の例外だった。彼女には感情が宿っている—そんな噂が彼女の耳に届くこともあった。
アナは毎日、透明な壁の向こう側を見つめていた。壁の向こうには別の都市があり、そこには「感情を感じる人々」が住んでいる。アナは彼らがどんな顔で笑い、どんな目で涙を流すのか想像することしかできなかった。彼女の世界には泣き声も、笑い声も存在しないからだ。
今日もアナは壁に額をつけ、向こう側を覗き見た。そこでは小さな子が母親に抱きつき、何かを訴えていた。その表情からは苦悩が読み取れるが、アナにはその感情が何を意味するのか分からない。ただ、その情景に心がざわつくのを感じた。それが「哀れみ」なのか「憧れ」なのか、彼女には判然としない。
次第に日が沈み、都市は薄暗く変わり始めた。アナは壁から離れ、無言の街を歩き始めた。彼女たちの街には声もなく、ただ足音のみが響く。彼女が家にたどり着くと、家の中もまた静かで、何も変わりばえしない姿があった。
部屋の一角には、もう一人の住人がいる。名前はエリオ。彼もまた「触れられぬ人々」の一人だが、彼もアナと同じく何かを感じることがあるらしく、時折窓辺に立ち、外の世界を眺める。
「ねえ、エリオ」とアナは話しかけたが、もちろん返事はない。言葉には意味がないのだから、会話を試みること自体が無意味だった。彼女はただそっと彼の隣に座り、一緒に窓の外を見つめた。外はもう完全に暗くなっていて、何も見えなかったが、そこには何かがあると二人は感じていた。
静かな時間が流れ、エリオは手を彼女の方に伸ばした。触れることはないけれど、その行動が何を意味するのか、アナにはわかった。それは彼なりの「つながり」を示す行動だった。
その夜、アナは何故、彼らに感情がないのか、何故感情を持てないのかを深く考えた。そして、感情がないことの「孤独」を初めて感じたような気がした。しかし彼女にはそれを確かめる術もない。
光と影が織り成す界では、彼女はただ、存在していただけ。そして、静かに生きていく。それが彼女たちの運命だった。
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